プライバシー、というのは私たちが比較的最近に獲得した概念です。生活全体を「公ー私」に分け、その「私」の部分を守る法的な権利をプライバシーと言います。私たちはプライバシーが脅かされることを恐れ、その侵害に対して闘うことを覚えました。ですがこの「公ー私」という二分法そのものが、西洋近代の生み出した「個」を前提とした観念であり、我が国の伝統的な価値観と馴染みづらいのではないかということはなお考える余地があると思います。
「公私混同」というような言葉を当たり前のように使うことからも察せられる通り、生活を「公私」の二極に分類するということについて、もはや私たちは疑うことすらできません。そういうものだと信じ込んでいる。これは西洋近代において、都市の発生とともに労働という概念が誕生し、家族と仕事の関係性が断ち切られたことによって生じたと私は見なしていますが、ここでは深入りしません。とにかく私たちが日々営む生活は「公」の部分と「私」の部分に色分けされ、互いの事柄は相互に不可侵であるということが前提となっている。
元々は私企業に勤めるような人間はその労働時間も「私」であり、政治家のように公に尽くすものが(公僕、という言葉からも分かるように)「公」という時間を有していたのですが、いまや「労働=公」「その他=私」という分類が一般化したように思います。このことの是非はともかくとして、上に述べたように私たちは生活における「公」と「私」が混じり合うことを極端に嫌います。「公」が「私」に、または「私」が「公」に闖入することは当然避けられるべきことである、という観念が強くある。そしてここで私が言いたいのは、そのことによって社会は砂漠化しつつある、ということです。
「公」と「私」が水と油のように混じり合わないものであると信じられることはつまり、「公」のことは「私」に、また「私」のことは「公」に影響を及ぼさないということです。いや、敢えて言うならそう信じられている、ということです。しかし公私の別というのは観念上のものであって、私たちはそれを越境する際に仮面をつけ変えているわけでも、別人格に成り代わっているわけでもありません。つまり私たちの生活時間は、「公」と「私」にきっちりと塗り分けられているのではなく、「公」の部分と「私」の部分が濃淡の度合いを変えながらグラデーションを作り出しているのです。
そうであるから、いくら生活を「公ー私」に分類しようとも、「公」は「私」に、「私」は「公」に闖入し、影響を及ぼします。それら(「公ー私」に塗り分けられた生活)は実は、同じ一つのものであるからです。私たちは「今この人は『公』の時間だろうな」と判断したその人が、思わず「私的な」挙措をした時に人間性を感じます。逆に言えば、完全に「公」に徹している人間を見る時、不安と不快感に襲われます。なぜなら、「公」と「私」が、実は連続する一つのものであることを知っているからです。
想像してください。あなたはどこか買い物に行きます。あなたはその時間を「私」であると考えている。店員さんが駆け寄ってきて、あなたに話しかけます。あなたは「私」である時間に愛想を振りまく必要はないと思い、不愛想な返事をします。そしてそれを当然の権利であると思っています。店員さんはもちろん不愉快になりますが、「公」の時間であるためにそれでも愛想良く対応します。しかし店員さんは「私」の時間に入った途端、あなたの愚痴を言い始めます。「なにあの客。機嫌悪いなら家にいろよ」…。
これが私の想像する、砂漠化です。大地を砂漠に変えるのは容易いことですが、そこを緑化するのは並大抵のことではありません。「公私の別」こそが、大地を砂漠に変える一歩目なのではないでしょうか。私たちは「公私の別」というものを今一度捉えなおさなければならない。その境を曖昧にすることで大地を緑化していかなければならない。
僕は仕事に自分のスマホを使っていまして、この前も仕事中にメールが来たので「お客さんからかしら」と思ってメールを開こうとしたんですけど、件名が「私のおっぱいって小さいですか?写メ貼ったので教えてください」だったんです。おいおい、ちょっと待ってくれと。まぁまず僕はここまで刺激的なお客さんは抱えていませんので、これはお客さんからじゃない。でもなんだか緊急性の高そうな件名じゃないですか。「私のおっぱいが小さいかどうか判断してくれ」と。いやこれね、笑うことは出来ないですよ。仮に僕が「僕のチンチンって小さいですか?写メ貼ったので教えてください」って見ず知らずの(男性とも女性とも分からない)アドレスに送ったとしたら、これは相当追い込まれてる。もうなんていうか、恥も外聞もない、生き死にの淵、そんなところまで追い込まれていると思うんですよ。
だってですよ、オナニーしようとAVを見てて、エクストリームを迎えたその後、男性の理性的思弁能力が最も高まると言われているその時間に付きっぱなしのAVを見て男優さんの巨根に驚き、彼我の実力差を感じて「…俺のチンチンって小さいのかな?」なんて思ったぐらいじゃ、そんなメールは送らない。それぐらいじゃ「俺に近しい人、見知った人だと故意に俺に忖度した結果ないし過剰に俺を貶める結果を通告するかもしれないな。ここは中立性を担保するために赤の他人がいい。それも性別問わずがベストだろうな。これが俺たちのピア・レビューだ」とか訳分かんないことを思い立ってチンポコを写真に収めてメールなんてするはずがない。そんな甘ったれた状況ではその選択肢は浮かんでこない。もっとこう、ヒリつくような瞬間、焦げ付くような今に閉じ込められていないとその選択肢は出てこない。
例えばですけど、仕事の帰り道に黒ずくめの男たちに黒いワゴン車かなんかに引きずり込まれて、僕も相当に抵抗はしたと思うんですけど、ゲリラが使うRPG-7(ロケットランチャー)かなんかをこめかみに押し付けられて、「大人しくしな」って言われる。戦闘ヘリも撃墜するRPG-7ですから、しょうがなく大人しくなった僕はアジトまで連れていかれるわけです。「俺をどこに連れて行くつもりなんだ!」とか内心ドキドキしながら僕も言ってみたりして。リーダー格のやけに男前のやつが「黙ってりゃあ分かるさ。今のうちに念仏唱えときな」とか言って無事には帰れないことを示唆してきたりして。そんでアジトについて、まぁこのアジトには迷彩服のスキンヘッド巨漢(ビッグ・ドム)やら、サバイバルナイフを無駄に舐めてるやつとかがいるわけなんですけども、ボスの部屋に連れていかれる。そこでボスと初めて対面するわけになるんですけど、このボスが金髪の美女なんです。スタイル抜群でボンデージ的な衣装に身を包んで、妖艶な雰囲気を醸し出してる。そこで僕はすかさず「綺麗なお姉さんが俺に何の用だ。俺のRPG-7に用事があるってのかい」ってもう絶対生きて帰れるって信じて疑わないアメリカンヒーロー的なことを言ってのけるわけです。よく言ったぞ、僕。すると隣のリーダー格の男前が「ボスになんて口を…殺りますか、ボス」とか脅してくるわけですけども、さすがにボスは冷静で、僕の前にバタフライナイフかなんかを突きたてながら、「その通りだよ。あんたのチンチンが大きいんだったらあたしとファック&ファックさ。だけど小さかったらビッグ・ドムとオネンネすることになるよ!」って言ってくる。果たして俺のチンチンは大きいんだろうか…?
こんな状況ですよ。こんな状況。赤の他人にでもチンチンの大きさを訪ねなきゃいけなくなるような状況って。そうやって考えると、この「私のおっぱい小さいですか案件」も重要性を帯びてくる。仕事なんかしてる場合じゃない。きっとのっぴきならない事情がこの女子大生(仮)を襲っているに違いない…。
とそんなことを妄想していたんですがね、また違うメールが来ました。「お客さんからかしら」と思ってメールを開こうとしたんですけど、今度は件名が、
【写メあり】セックスオスシ
でした。セックスオスシですよセックスお寿司。なんだよその組み合わせ。どういうことなんだよ!僕の脳内には「女体盛り」とか「駅弁」とか、なんだか関係のありそうなワードが浮かんではたゆたい、たゆたっては消えを繰り返していたんですが、「セックスオスシ」はそのどれとも違う!なんだこの語感!「セックス寿司」じゃないんですよ。「セックス寿司」って、何かは知らないけど、なんかすごく下品というか野卑だ。知性が感じられない。でも「セックスオスシ」には品がある。知がある。雅がある。僕は今凄く、セックスオスシがしたい。それが何かは分からない。でもそれがどんなものであっても、とにかく僕は今すぐにでもセックスオスシがしたい…。セックスオスシにはそう思わせる何かがあるんです。トム・ソーヤーがハックに「オージーズをやろうぜ!」って言って、「オージーズって?」と聞かれて「わかんない。でも海賊は必ずオージーズをやるんだ!」って答えた時みたいに、僕はセックスオースーシがしたいんです。何かは分からないけど、でも絶対楽しい何かなんだ!
裏に糸井重里みたいなコピーライターがついてんじゃないのかって思うセックスオスシなんですけど、僕はもうこのブログのタイトル替えようかと思いましたもんね。「セックスオスシ」に。まあセックスが登場しないので僕のブログのタイトルにするなら「オナニーベントウ」って感じですかね。素晴らしい類語が出来上がりました。Weblioの類語の項目に登録される日もそう遠くない。でもやはり悲しいかな、オリジナルにはかなわない。これね、男性が女性に上から覆いかぶさって挿入して、「これがセックスオスシや~」みたいなのだったらもう許さないぞ僕は。そんな知性のかけらも感じられないものが「セックスオスシ」なわけがない。せいぜい「セックス寿司」どまりでしょうそんなもん。だいたい日本語の文法的にはそれは「寿司セックス」であって「セックス寿司」ではない。つまり「セックスオスシ」というのは「お寿司みたいなセックス」ではなく、「セックスみたいなお寿司」であるはずなんです。セックスみたいなお寿司…?
しかもですよ、【写メあり】と来ましたよ。おいおい、こんなに見たい写メはここ10年は無かったぞ?
LINEのニュースとかでタイトルで釣るクソみたいな記事を、金剛石のような意志力で幾多も無視してきた僕がですよ、これは見たいと思った。見なきゃ死ねないと思った。だけどメールに添付してあるのはこれ以上ないくらい怪しいURLのみ。こんなもんクリックしたらね、どうなるかぐらい僕にもわかります。身に覚えのないエロサイトに登録されまして、何とも腹立たしいことにこのエロサイトには多分セックスオスシの画像はないんですけど、月額3万円とかって名うての社交クラブみたいな月会費を請求されて、なんやかんやあって怖い人から電話がかかってきて…。という流れになるんですよどうせ。
挙句の果てには僕の職場の前に黒塗りのベンツが乗りつけられまして、その中から上下Kappaの赤のジャージかなんかを着たデカいお兄さんが出てきて、そのベンツには仔牛ぐらいもあるなんか今までに何人も嚙み殺してそうな犬みたいなのが乗ってたりするわけなんですが、そのお兄さんが僕の職場に向かって「セックスオスシの請求に来ましたーー!!」とかって大声で叫んだりするわけですよ。近隣の方たちは「…セックス…オスシ??」って何の請求だか最後まで分からないと思うんですけど、とにかく僕が大声では言えない何かをしたってことは知れ渡ってしまうわけです。
そんなベンツが職場の前に乗りつけられちゃ困る。仔牛のベンツはやっぱりよくないってことで、「セックスオスシ」については泣く泣く断念しました。
いつもならここで終わるのですが、それだけで引き下がるのも悔しいですし、そもそも「セックスオスシってなんだ」っていう好奇心が水蒸気爆発を起こしそうなぐらい膨れ上がっているので、ネットの検索窓に「セックスオスシ」と書いてガツンと検索。僕のパソコンもここまで書いてようやく「セックスオスシ」が一発で変換されるようになりました。PCに新たなニューロンを形成していく。それもセックスオスシ。しかしこの検索結果がですね、一人の良民が「セックスオスシってなんじゃい」ってつぶやいている結果にぶち当たっただけなんです。おいおい、嘘だろ。僕とこの一人以外はみんな「ああ、セックスオスシね」と納得したのかよ。「俺も一昨日したぜ、セックスオスシ」「ああ私も。いいよねー」ってな具合なのか。
とりあえずこの日記のタイトルを無駄に意味ありげなものにして終わっておきます。
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「公私混同」というような言葉を当たり前のように使うことからも察せられる通り、生活を「公私」の二極に分類するということについて、もはや私たちは疑うことすらできません。そういうものだと信じ込んでいる。これは西洋近代において、都市の発生とともに労働という概念が誕生し、家族と仕事の関係性が断ち切られたことによって生じたと私は見なしていますが、ここでは深入りしません。とにかく私たちが日々営む生活は「公」の部分と「私」の部分に色分けされ、互いの事柄は相互に不可侵であるということが前提となっている。
元々は私企業に勤めるような人間はその労働時間も「私」であり、政治家のように公に尽くすものが(公僕、という言葉からも分かるように)「公」という時間を有していたのですが、いまや「労働=公」「その他=私」という分類が一般化したように思います。このことの是非はともかくとして、上に述べたように私たちは生活における「公」と「私」が混じり合うことを極端に嫌います。「公」が「私」に、または「私」が「公」に闖入することは当然避けられるべきことである、という観念が強くある。そしてここで私が言いたいのは、そのことによって社会は砂漠化しつつある、ということです。
「公」と「私」が水と油のように混じり合わないものであると信じられることはつまり、「公」のことは「私」に、また「私」のことは「公」に影響を及ぼさないということです。いや、敢えて言うならそう信じられている、ということです。しかし公私の別というのは観念上のものであって、私たちはそれを越境する際に仮面をつけ変えているわけでも、別人格に成り代わっているわけでもありません。つまり私たちの生活時間は、「公」と「私」にきっちりと塗り分けられているのではなく、「公」の部分と「私」の部分が濃淡の度合いを変えながらグラデーションを作り出しているのです。
そうであるから、いくら生活を「公ー私」に分類しようとも、「公」は「私」に、「私」は「公」に闖入し、影響を及ぼします。それら(「公ー私」に塗り分けられた生活)は実は、同じ一つのものであるからです。私たちは「今この人は『公』の時間だろうな」と判断したその人が、思わず「私的な」挙措をした時に人間性を感じます。逆に言えば、完全に「公」に徹している人間を見る時、不安と不快感に襲われます。なぜなら、「公」と「私」が、実は連続する一つのものであることを知っているからです。
想像してください。あなたはどこか買い物に行きます。あなたはその時間を「私」であると考えている。店員さんが駆け寄ってきて、あなたに話しかけます。あなたは「私」である時間に愛想を振りまく必要はないと思い、不愛想な返事をします。そしてそれを当然の権利であると思っています。店員さんはもちろん不愉快になりますが、「公」の時間であるためにそれでも愛想良く対応します。しかし店員さんは「私」の時間に入った途端、あなたの愚痴を言い始めます。「なにあの客。機嫌悪いなら家にいろよ」…。
これが私の想像する、砂漠化です。大地を砂漠に変えるのは容易いことですが、そこを緑化するのは並大抵のことではありません。「公私の別」こそが、大地を砂漠に変える一歩目なのではないでしょうか。私たちは「公私の別」というものを今一度捉えなおさなければならない。その境を曖昧にすることで大地を緑化していかなければならない。
僕は仕事に自分のスマホを使っていまして、この前も仕事中にメールが来たので「お客さんからかしら」と思ってメールを開こうとしたんですけど、件名が「私のおっぱいって小さいですか?写メ貼ったので教えてください」だったんです。おいおい、ちょっと待ってくれと。まぁまず僕はここまで刺激的なお客さんは抱えていませんので、これはお客さんからじゃない。でもなんだか緊急性の高そうな件名じゃないですか。「私のおっぱいが小さいかどうか判断してくれ」と。いやこれね、笑うことは出来ないですよ。仮に僕が「僕のチンチンって小さいですか?写メ貼ったので教えてください」って見ず知らずの(男性とも女性とも分からない)アドレスに送ったとしたら、これは相当追い込まれてる。もうなんていうか、恥も外聞もない、生き死にの淵、そんなところまで追い込まれていると思うんですよ。
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こんな状況ですよ。こんな状況。赤の他人にでもチンチンの大きさを訪ねなきゃいけなくなるような状況って。そうやって考えると、この「私のおっぱい小さいですか案件」も重要性を帯びてくる。仕事なんかしてる場合じゃない。きっとのっぴきならない事情がこの女子大生(仮)を襲っているに違いない…。
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【写メあり】セックスオスシ
でした。セックスオスシですよセックスお寿司。なんだよその組み合わせ。どういうことなんだよ!僕の脳内には「女体盛り」とか「駅弁」とか、なんだか関係のありそうなワードが浮かんではたゆたい、たゆたっては消えを繰り返していたんですが、「セックスオスシ」はそのどれとも違う!なんだこの語感!「セックス寿司」じゃないんですよ。「セックス寿司」って、何かは知らないけど、なんかすごく下品というか野卑だ。知性が感じられない。でも「セックスオスシ」には品がある。知がある。雅がある。僕は今凄く、セックスオスシがしたい。それが何かは分からない。でもそれがどんなものであっても、とにかく僕は今すぐにでもセックスオスシがしたい…。セックスオスシにはそう思わせる何かがあるんです。トム・ソーヤーがハックに「オージーズをやろうぜ!」って言って、「オージーズって?」と聞かれて「わかんない。でも海賊は必ずオージーズをやるんだ!」って答えた時みたいに、僕はセックスオースーシがしたいんです。何かは分からないけど、でも絶対楽しい何かなんだ!
裏に糸井重里みたいなコピーライターがついてんじゃないのかって思うセックスオスシなんですけど、僕はもうこのブログのタイトル替えようかと思いましたもんね。「セックスオスシ」に。まあセックスが登場しないので僕のブログのタイトルにするなら「オナニーベントウ」って感じですかね。素晴らしい類語が出来上がりました。Weblioの類語の項目に登録される日もそう遠くない。でもやはり悲しいかな、オリジナルにはかなわない。これね、男性が女性に上から覆いかぶさって挿入して、「これがセックスオスシや~」みたいなのだったらもう許さないぞ僕は。そんな知性のかけらも感じられないものが「セックスオスシ」なわけがない。せいぜい「セックス寿司」どまりでしょうそんなもん。だいたい日本語の文法的にはそれは「寿司セックス」であって「セックス寿司」ではない。つまり「セックスオスシ」というのは「お寿司みたいなセックス」ではなく、「セックスみたいなお寿司」であるはずなんです。セックスみたいなお寿司…?
しかもですよ、【写メあり】と来ましたよ。おいおい、こんなに見たい写メはここ10年は無かったぞ?
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挙句の果てには僕の職場の前に黒塗りのベンツが乗りつけられまして、その中から上下Kappaの赤のジャージかなんかを着たデカいお兄さんが出てきて、そのベンツには仔牛ぐらいもあるなんか今までに何人も嚙み殺してそうな犬みたいなのが乗ってたりするわけなんですが、そのお兄さんが僕の職場に向かって「セックスオスシの請求に来ましたーー!!」とかって大声で叫んだりするわけですよ。近隣の方たちは「…セックス…オスシ??」って何の請求だか最後まで分からないと思うんですけど、とにかく僕が大声では言えない何かをしたってことは知れ渡ってしまうわけです。
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とりあえずこの日記のタイトルを無駄に意味ありげなものにして終わっておきます。
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